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榊原烋一 【サカスト】 |
【岸コラ】でソルジェニーツィンの死からマルクス主義に触れているので懐かしくなった。ソルお爺さんの「イワン デニーソヴィチの一日」の作が1970年ころノーベル文学賞をもらったので一時日本でも有名になり、その後も「収容所群島」などの作品がひとしきり売れたことも思い出したが、その後日本のマスコミからは姿を消してしまった人物の一人だ。
ところが彼の祖国ロシアでは、ソ連崩壊後彼は尊重されて特にプーチン政権時代になると日本でいう国民栄誉賞的な賞までもらっているにもかかわらずわが国ではそれほど話題になる作家にはならなかった。たまたま死んだということで大きく騒がれたのかも知れないが、死んで騒がれたのは少なくとも日本では赤塚不二夫のほうがよほど上だった。
だいたいノーベル賞も科学分野では権威のある賞であるが、文学賞、平和賞などになるといささか首をひねる人物が受賞者になっている。ソルお爺さんもややそのきらいがあって、彼はスターリニズムに反逆したことから収容所送りとなり、その経験を文学として著わしたところからノーベル賞をもらえた。ということはこの受賞も多分に当時の西側世界の思惑からのもの、と考えられなくもない。
実際日本の受賞者の顔ぶれを見ても、文学賞の川端康成とか平和賞の佐藤栄作なんて我々仲間では以前からおかしいんじゃないと思われていた。もっともおかしさの程度はもちろん栄作さん――彼は総理在職中一度でいいから栄ちゃんと呼ばれたいと言っていたそうだからここでも栄ちゃんと呼んでおくか――と川端さんでは大違いだが、いずれにせよこの分野は明らかに政治絡みの臭いが強い。
さてこのソルお爺さんだが、たしかにマルクス主義者ではあっただろうが、あの時代のマルクス主義者とはあえて言えばインテリと呼ばれるほどの人ならだれしもかぶれていた主義だから彼だってもちろんそうだったろうはずだが、一面彼は熱心なロシア正教の信者でもあったのだから、まるきりのマルキストとも言えないのかも。
というのも、マルクス主義は本質的に資本主義の誕生に至る歴史的な系譜をたどり、資本家が封建領主にとってかわったものの今度はブルジョワジーとして労働者の上に君臨し、独占的に生産の果実を生産者から奪いとってしまう存在と決めつけ、圧倒的多数を占めるプロレタリアートが立ち上がって革命を起こすことにより、多数者である被支配階級による支配階級化が階級闘争の歴史に終結を告げるというある意味ではユートピアのような社会の実現を望んでいたところがある。だから貧乏なインテリはこぞってこれに傾いた。
しかし理想はあくまでも理想であって、この思想が実際の社会革命に移行する段階でひとつの政治的なイデオロギーにとって変わってしまう。ということは理想としていた主張と現実との間に大きな乖離を生じ、マルクス自身が自分でも指摘していたような矛盾を産んでしまったのだ。それが形としてはスターリニズムにもなり、やがてソ連崩壊への道へと進んでしまう。ソルお爺さんはむしろこのスターリンの行なった政治手法に反対をしていたのではと私は考える。
と同時に、マルクス主義の大きな欠陥は、その前のヘーゲルが唱えた歴史哲学が観念的であり過ぎたのを反転させて、その歴史観はあくまでも生活物資の生産やその交換、分配などという経済的物質的な生活によるとする唯物史観で、歴史の発展を生産力と生産関係との矛盾とそれを止揚(なんで哲学ってこんな訳分らない言葉使うんでしょうね、ドイツ語ならAufhebenつまりせいぜい拾い上げるから保管とか貯蔵くらい更には廃止くらいの意味で使うのにね)する「弁証法的唯物論」(これも同じ、弁証法の語源Dialecticはせいぜい討論法くらいのところだったのにね)という考え方だから、法律や政治的な制度や機構は言うに及ばず、宗教的、芸術的な思想や観念まですべてここにもってこようとするのだから、いささか牽強付会のそしりも免れない。
だからソルお爺さんがキリスト者としてどこまで芯からのマルクス主義者だったのか、それよりも彼はむしろロシア民族的愛国者だったんじゃないかしら。だからこそプーチンさんから表彰されたとも考えられるね。
ところでマルクス主義といえば最近若者の間で小林多喜二の蟹工船が読まれているって話前に書いたような気がするけれども、これも私の小学校の頃から現代日本文学全集だったかには所載されていたから読んだことがある。これこそプロレタリア文学そのものという小説で、いかに資本家が貧しい労働者を搾取して肥えて行くか、そして労働者はそれこそ命までその前ではボロ切れ同然に取り扱われるかを密漁の蟹缶詰製造船を舞台に描いたものだ。
しかも船の中でついに数の多い労働者、漁民、火夫たちが騒動を起こし、資本家の手先である監督、船長らをつるしあげてしまうのだが、最終的に労働者の味方、あるいは昭和初期の貧農、つまりプロレタリアート出身の日本海軍の水兵によってだ捕されてしまうというまことに皮肉な結末のものだ。当時は公刊されてはいたものの伏せ字だらけ、ちょっと読むとすぐに○○○○とか×××とかでまるきり意味が分らない、ただし逆にここにはなんという字が入るのかを考える面白さはあった。それに比べて戦後出版されたこの本には伏せ字などどこにもない。その辺を比較すればなんだかんだ言ってもやはり現代の方がよほど住み易いのかな。
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