国民的オバカサンは許せるけれど たばこ値上げ論の中から

社会保障制度の行く末は

榊原烋一 【サカスト】
2008年6月20日(金)寄稿

徘徊政府の社会保障国民会議とやらが中間報告を取りまとめたとの新聞記事があった。その内容として第一に上げられているのは「日本の社会保障費、なかんずく医療、介護にかかる給付費用は国際的にみて必ずしも高くない」ということだ。ただしここでは医療崩壊と言われる実情、介護サービスの現状等の問題点を指摘して、将来の財源確保を不可避なものという論調で固められている。

給付の裏には負担がある、これは当たり前の話しで北欧のような高福祉国家はそれなりに国民の負担も高い。数十年前の例ではあるが、スウェーデンからノールウェイまで飛行機で旅行したが、時間にしてたかだか40分くらい。しかしその短い時間の間で乗客の大部分が機内販売のたばこ、アルコールを制限いっぱい買い込んでいる。なんの騒ぎかとはじめての旅だった私は呆れて見ていたが、現地へ到着してからその事情は判明した。つまりたばこ、アルコールの税金がやたらに高いのだ。だから免税される国際便の機内で買えるだけ買っておこうとする。

上記国民会議の趣旨もそのようなもので、少子高齢化社会へ向けてこの際どうしても国民の負担増をやむなしとしている。

介護保険料をかなり払わされていながらまだ介護は受けていない私から見れば、けっこう負担もさせられているような気がしないでもないが、毎週1回半日だけボランティアとして老人ホームへ老人たちの歌の伴奏を弾きに行っていると、最近何かおかしいとの実感がして来た。このボランティアを始めてから既に10年以上経ってしまったが、なにか最近のホームの雰囲気が寒々しく感じられるのだ。

もちろん入所者は次々に変わる。亡くなって行く方があると待っている方が入所してくるからだ。それだけなら10年前も条件は変わりないのだが、以前には顔なじみになるくらい職員が固定していたのに、最近は職員も次々に変わってしまうから、こちらの顔も知らない職員が多くなって来たことが原因のようだ。

その理由は明らかなことで、介護保険制度が実施されてから、介護士の給料が気の毒なほど安くなってしまったことにある。ちょっと聞いた話では大学卒の初任給が18万くらいで、手取りにすると約14万くらい、この仕事を始めて7年経って奥さんも子どももいる男性の介護士の手取りは19万だそうだ。

老人介護の仕事は肉体的にも精神的にも非常に厳しい。夜中でも徘徊するお年寄りを追っかける、排便の世話をする、ベッドからの上げ下ろしをする、そしてその間に認知症の老人からはバカ呼ばわりをされる。それでいてこの給料だから若い職員は我慢できなくなってやめて行く。やめられれば残っている職員が忙しくなる、しかし給料は上がらない。これではいくら老人の世話に情熱をもって飛び込んで来た若者でも転職を考えざるを得ない、かくして私の行っている特別養護老人ホームからは顔見知りの職員が一人もいなくなってっしまった。

ところでそうなってくると、同じ時間に一緒にボランティアをやってくれている女性からも不満が出てくる。「ここの職員は最近ボランティアに任せっきりで挨拶にもこない、こんなことなら私たちだってやめようかしら」そんな声に私も半ば同感しながら、年の功も働いて「でも私たちはボランティアで自分の意志で無償でやってるんだから、まあまあ」となだめ役に回ったりする。

このままではたしかに悪循環になること必然だ。そこで国民会議の中間報告なるものを読んでいるのだが、この国のものの考え方がいかに場当りで先の見通しのないものかを痛感させられる。

日本の政府の統計はかなりご都合主義で、自分の縄張りにとって具合の悪いものは数字の置き方を変えてまでも発表するなどの点で国際的にもあまり評判がよくないのだが、そのなかでもっとも信頼されるのが人口統計だと言われていた。つまり老人が増えて若者が減って行くことは統計的にもかなり前から明白だったはずだ。それなのに将来必要になることが分りきった年金を今は使わないからと余った金であるかのようにジャブジャブと浪費してしまった。

若者がなぜ子どもを作らなくなるか、これも種々の社会変化の影響はあるだろうが子育ての難しさ、なかんずく保育行政の貧しさが大きく影響していること、これだってもう数十年前から叫ばれていた。しかし現在まで保育待機児童がなくならない。一時は金が余ったと思ったのか老人医療の無料化も実施されたこともある。結果、大病院は健康な老人たちのクラブと化して本当に病院を必要とする患者が後回しにされてしまうという愚かな時期もあった。その時にも為政者たちは今日が来ることに口を拭っていた。

今年大問題になった後期高齢者医療制度だって法律は2年前に制定されていた。しかしどこの役所も地方自治体も、野党の皆さんもマスコミも、実施が現実となる寸前までだれもこの中にどんな問題が隠れているかについて触れなかった。老人介護の道を選ぶ若者の将来についてさえ担当部署ではまったく無策であった。深夜どこかへ徘徊してしまう老人を追いかけ回す仕事の給料が、コンビニのパートのレジよりも時給にすれば安いのに。

こういう無責任、無策、無方針な人々が、今や、よってたかって増税しか方法がないと叫びだしている。納税は国民の重大な義務の一つであることは間違いがない。しかし同時にそれは国民個人の自由、幸福の追及を保証するための義務であって、用もないのに遅くまで残って乗ったタクシーから酒のサービスをねだる役人のための義務でないはずだ。

ここまできてしまったのだからどうだろう、この際、議員、役人のすべてを一度民間企業人と総取り替えをやってみるという案は。



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