ケータイ雑感 学校格差の解消をめざすのならば

 学校格差の解消をめざすのならば

榊原烋一 【サカスト】
2008年5月30日(金)寄稿
5月31日アップ

土曜日はどうする?数日前の新聞に某経済学者が公立中学校離れの現象を経済学の立ち場から考えるという 論文が掲載された。学校選択の理由を経済学の面で検討するとは興味があることなので、かなり長文のものではあったがじっくりと読んでみた。

ところが経済学の立ち場と言うが別に取り立てて驚くような意見ではなかった。あえて経済学的な見地といえば、最終学歴が大学卒業者と高校卒業者との間では30歳を過ぎての収入に次第に差が出るということがグラフで示され、国民の大部分がこれを知っているから大学入学に有利と思われる私立中学に流れ、公立中・高が次第に存在価値を失って行くとし、この現象を放置しておくと経済的格差が学歴を固定してしまう恐れがあるとしている。

こんなことはなにも経済学的に考えなくとも、明治以来の日本の教育が戦前の富国強兵から戦後の民主主義教育に形は変わっても、その目的は立身出世の手段の一つという点では少しも変わらなかったことで、社会学的にも教育学的に考えてもまったく当たり前のことであり、どこが経済学的なのか不可解な論文ではあった。

しかもこの論文では、結論的に公立中学、高校の学力向上を目指すことがこの問題の解決にあたって急務であるとして、学校選択性を礼讃し、【サカスト】でも触れた杉並区立和田中のように公立学校でも塾と提携してでもその目的を達成することが重要だと説いている。

経済学者だから教育の現状をよく知らないと言ってしまえばそれまでかもしれないが、知らないならばこのような誤解を生じる論文を公表しないで頂きたかった。

まずこの論文では大学入試に成功することが国民の願いであって、日本の現状はそのために私立中学校へ入学することが早道であり、そうなれば経済的に恵まれている者だけが勝者となる危険性が固定されると説いている。【サカスト】もその点にはある意味同感ではあるが、公立学校の選択制を礼讃したり、公立中学校と塾との提携を推薦したりする点ではまったく意見を異にする。

なぜならばこのような道は一見すると公立学校の復権を目指すかの如くに見えても、その実公立学校の中にまで経済的格差を持ち込んでしまうことになるのだ。【サカスト】で以前にも触れたことであるが、公立学校、なかんずく義務教育段階の小学校、中学校はあくまでもすべての国民に公平に開かれたものでなければならないし、またそうあるべく努力すべきであって、そこにまで経済格差の社会を持ち込むべきではない。

公立学校の学力向上はもちろん望ましいことではあるが、そのためにはまず国家が学力向上の措置を十分に果たすことが最重要の課題であると言えよう。具体的に言えば少人数学級の実現とか授業時数の適正化などはすぐれて国の教育政策に依存しているはずである。もともと都会の家庭が私立学校指向の傾向を見せたのはゆとり教育が公立学校に義務付けられたことの影響が大きい。

都会での私立学校の大部分はあくまでも土曜日の授業を存続した。文部科学省も当初は土曜の授業を自粛するように要望はしたが、大多数の私立学校はこれに耳を貸さなかった。現在では公立学校でさえ教委に届け出た教育課程とは別に、言わば闇で土曜日になんらかの授業をしている有り様だ。またあくまでも土曜休日の建て前を守っている市町村(東京の特別区も含む)では、夏、冬の長期休暇の日数を削ってまで授業時数を増やそうとしているのが実態なのだ。

授業時数が減らされて、しかも1学級あたりの児童生徒数が世界でも珍しい大人数であり、しかも最近の教員にはさまざまな父母からの無理な要求、たとえば子どものしつけの依頼とか、子ども相互のいさかいの仲裁、などのほか上級官庁や他の公共団体からの事務依頼などなどで忙殺されているのが現状なのだから、公立学校の学力向上を願うならば、それこそ経済学的な見地からもむしろ優先的に教員の定数増を考えるるべきだろう。

現に府県によっては独自の予算をたてて30人学級を実現したり、司書教諭をすべての学校に配備したりしている事実がこの必要性を裏付けているのだ。しかも財政がそれほど裕福ではない府県でもそのような例が見られることは、首長の教育に対する見識の問題なのかもしれない。国は小泉さんが総理就任の際にぶち上げて国民に期待させた“米百俵”の精神などどこへやらで、教育予算の増額は頑として認めていない。

もう一つこの論文の致命的な欠陥は、ここで論ぜられている私高公低の前提は大都会に限られた現象であることに論者は気づいていないことである。実は、学力が高く大学入試に優位な高校は私立高校であるという現象はあくまでも東京、名古屋、大阪のような大都市の現象、つまり私立学校の数が相対的に多い地域の話しであって、地方の小都市や町村ではおしなべて公立高校が優位に立っている事実を見落しているのだ。このような地域ではまず公立優先、そしてそこを外れた者が少数の私立学校へ通学しているのが現状だ。だからこそそういう地方では公教育に力を注ぎ、国以上の予算措置を講じるところが出て来るのだ。

経済的格差が学力格差に結びつくことは【サカスト】筆者も望ましいとは思っていない。しかし公立学校の選択制を良しとするこの論者の意見には真っ向から反対である。そこからは公立私立の差と同様な経済力の格差が必然的に出現してしまうからだ。

と思っていたら、杉並区立和田中とは全く異質の補習をはじめた公立中学校の例がニュースとなった。それは北区立神谷中学校の実践だ。

この学校では、希望者に土曜日を使って国語、英語、数学の補習を行っている。しかも教科に関係なくすべての教師がこれに当たっているのだ。つまり、体育の教師も音楽の教師も、当番で子どもの国語、数学、英語の学習を見てやっているというのだ。これこそ公立学校のなすべきことで、先生方の苦労はあるとは思うが、まず教師自身、自分の中学校時代を振り返って子どもの面倒を見ることができるし、教科担任制をとる中学校の教師が子どもを見る目の確かさを養うという点でも、和田中の実践より遥かに優れた実践であり、このような努力と工夫があればこそ、公立学校復活の足掛かりになるのではないか。

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