辞める日本と辞めないタイの同じ事情 「金融システム」は崩壊するのか。

日本はアフリカを大切にしている、その理由。

岸田 徹 【岸コラ】
2008年9月11日(木)

アフリカ大陸(サハラ砂漠の位置はイメージです。元図はMicrosoftエンカルタ総合百科2008DVD)銅は約4倍、鉄鉱石と金の価格はこの7年間で3倍になった。宝石用のダイヤは前年より約2割、今後10年間では5割値上がりすると見込まれている。高度成長している中国やインド、ロシアで需要が増大しているのが原因だと言われている。市場で取引されている主要鉱物の値上がりは顕著だが、携帯電話やゲーム機、デジタルカメラなどの小型電子機器に必要な希少金属(レアメタル)は値上がりばかりではなく、確保自体が難しくなっている。

これらの鉱物資源に加え石油やウランなどのエネルギー資源もたっぷりあると世界から羨望の目で見られているのがアフリカだ。かつて「暗黒の大陸」と言われたアフリカは、いまや「未来の大陸」と呼ばれることもあり、外国からの投資は倍増している。一部の国では高層ビルの建設ラッシュも始まっている。アジア、南米の次はアフリカと世界の投資マネーは未知の大陸に関心を寄せている。

アフリカで最も古くから名前を知られている日本人は恐らく野口英世だ。明治に生まれ、1歳の時に左手に大やけどを負い、アメリカに渡り梅毒の研究で世界的に有名になった。晩年は黄熱の研究のためアフリカのアクラ(現ガーナ共和国の首都)に渡り黄熱に感染して世を去った。

アフリカに関する医学研究や医療活動分野で功績のあった人に贈られる賞が日本にはある。「野口英世アフリカ賞」で、5年ごとに1〜2人が選ばれ、ノーベル賞級の1人1億円の賞金が贈られる。第1回受賞は今年、イギリスの博士とケニアの博士に贈られた。1億円は半分を日本の国費で半分を寄付金で賄うことになっている。政府が寄付を募ったところ2億6千万円の申し出があったが、実際に集まったのは9千万円。ノーベル賞並みの基金にしようとした政府は目標の10億円が集められなかった。これでは、今年の賞金で終わってしまうが、寄付をした人の中には退職金を全額寄付した人がいる。634万円の小泉元首相だ。

この賞の提唱者は他ならぬ小泉さんだった。洞爺湖サミットの前に今年横浜で行われた「アフリカ開発会議」には、アフリカ53カ国のうち51カ国が参加し、福田首相は各国の首脳ら45人と個別に会談した。この会議は5年に一度日本で行われている。今回で4回目だが、「野口英世アフリカ賞」はこの会議に合わせて表彰される。小泉さんは、前回の2003年のアフリカ開発会議の時に23カ国の首脳と個別会談し「こんなに疲れたのは初めて。もうこりごりだ」(読売新聞)と感想を漏らした。

小泉さんは、首相在任中の最後のゴールデンウィークにアフリカのエチオピアとガーナを訪問したが、その際、ガーナ大学医学部の付属病院にある野口英世研究室を訪れた。その翌日、ガーナのクフォー大統領と会談し、「野口英世アフリカ賞」の創設を提案した(2006年5月)。日本では小泉首相在任中に鳥インフルエンザ問題が噴出した。小泉さんは「アフリカでは多くの人が病に苦しんでいる。病気克服はアフリカが望むことの一つだ」(読売新聞)と会談後の共同記者会見で発言し、エイズや鳥インフルエンザなどの感染症などの研究に貢献したいと語った。「野口英世アフリカ賞」はいわば小泉さんのひらめきで生まれた賞だ。

この賞で、「アフリカ開発会議」は日本で行われるアフリカの会議という印象を強力にアピールするつもりだったのだろうが、賞も会議もパッとしない。今年のアフリカ開発会議は個別会談を忙しそうにこなした福田さんの印象が強く、洞爺湖サミットの前哨戦のような印象だった。最初にこの会議が行われたのは、細川内閣の時だった(1993年)。冷戦終結後のアフリカ開発のあり方について協議するのが表向きの目的だった。しかし、細川さんがやりたかったわけではなく、会議を提唱したのは前々内閣の海部内閣時代に中山太郎外相が行ったものだ(1991年)。その時から準備がなされ実行されたのがたまたま細川内閣の時だった。中山さんは自民党の中でも外交通で知られる人だが、中山さんがやりたかったのかというとどうもそうでもないようだ。

会議を主導したのはもっぱら外務省で、本当の目的は、国連安保理の常任理事国入りだ。会議創設を検討したころの日本はバブル経済の絶頂期で、援助でアフリカ諸国の票を買おうとした節がある。しかし、第1回のアフリカ開発会議の出席者は5人(1993年)しかいなかった。日本に対する理解不足に加え、国家のトップが外国に行ける状態ではない内戦や飢餓がアフリカ全土を覆っていたと言える。第2回は15人(1998年)、第3回は23人(2003年)で、今年行われた第4回は首脳クラスが40人と飛躍的に伸びた。45人の各国代表者と個別会談した福田首相は、安保理の常任理事国入りの支持を最後に必ず要請した。国連での議席の4分の1を占めるアフリカ諸国の気を引きたかったのだろうが、アフリカの事情は、そう単純には引き受けられないものがある。アフリカと一言で言ってもひとくくりにはできないのだ。

アフリカ大陸は、世界5大陸の一つだが、アフリカ諸国のアフリカに対する帰属意識は極めて低い。日本がアジアの一員だと思っている帰属意識も低いかもしれないが、アフリカ諸国のそれはさらに低いはずだ。アフリカはつい最近までヨーロッパ諸国の植民地だった。アメリカ大陸への奴隷貿易が始まると、アフリカの貿易を支配しようとするヨーロッパの争いはより激しくなった。奴隷貿易が禁止された後も、第1次世界大戦で、続く第2次世界大戦でもアフリカ人は兵士として強制的に動員された歴史が続いた。ヨーロッパの列強はアフリカ大陸を定規で線引きして国境を作った。線引きの下には部族が分断されたところもある。アフリカに住む人たちにとってみれば国境や国家は押し付けられたものとの意識が強く、国家よりは部族意識の方がはるかに強い。

そんな国家に援助するので票をくれと言ったところで話はなかなか通らない。加えて、列強に征服されっぱなしの歴史の中では「援助」は決して魅力的な言葉ではない。彼らが望むものは困っているときの援助ではなく、自立できる支援なのだ。もしも援助を受ければまた支配されるという恐怖心が先に立ってしまう。

アフリカは未開だと言われても、アフリカの中での貧富の差は激しい。世界最大の砂漠であるサハラ砂漠の北側と南側でアフリカは分断されている。サハラ以北を北アフリカと言い、以南を南アフリカと言っているが、北アフリカのエジプトやアルジェリアは人口も多く、経済的にも発展しているが、圧倒的に国が多いサハラ以南は遅れが目立つ。その南アフリカでも富の偏在があり、南アフリカ共和国だけが突出して経済発展を遂げている。南アフリカ政府のアパルトヘイト政策(1950年ごろ〜93年ごろ)に対する西側諸国の経済制裁により、自国で産業を完成させる必要に迫られた結果だという説もある(英国エコノミスト誌)。

人類はここから世界に広がったとされるアフリカには、世界最古の文明の一つであるエジプト文明が五千年前に起こっている。しかし、この500年間は外国の支配の歴史が続いた。文化が遅れていると言われるが、今のジャズ、ブルース、ロックはアフリカのリズムから生まれたもので、アフリカの文化がなければ今の西洋音楽はこれほど多くの人々に愛されることはなかったはずだ。

冷戦構造が崩れ、アフリカの内戦状態も変化したと言われるが、いぜんとして紛争が絶えない国が多い。それ以上に深刻な問題はエイズなどの伝染病の蔓延だ。世界全体のエイズ感染者は4千万人との報告があるが(2001年12月現在)、サハラ以南の感染者は2千8百万人と世界の7割を占める。

国連でのアフリカ諸国の議席が全体の4分の1を占めるからと言って、アフリカ全体に日本の常任理事国入りを求めたとしても、国によって事情はバラバラだから効果のほどは知れている。それでも、その票欲しさに世界が注目するはるか前にアフリカに注目をした日本。だいぶお金も時間もかけただろうが、今からでも方針を転換して、投票より投資にアフリカを導くべきだ。資本ばかりではなく、国情にあった技術投資や人材投資をすれば、アフリカ諸国からは間違いなく感謝される時が来る。その時こそ、日本は軍事力がなくても世界から認められる常任理事国になるのではないか。常任理事国は目的ではなく結果のはず。それにしても無力化する国連の常任理事国入りを果たしたい外務省の省益のために政官一体となって無駄な国費を費やすのはいけない事だ。

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2008:「アフリカ」「野口英世」

IT機器回収強化へ 経産省と環境省、レアメタル確保狙う[2008年8月24日 読売新聞 東京朝刊 二面]

英世賞講演 アフリカ医療の現状語る=福島[2008年5月31日 読売新聞 東京朝刊 福島2]

[スキャナー]アフリカ会議 中国に対抗、日本「老舗の意地」支援策次々[2008年5月30日 読売新聞 東京朝刊 三面]

[おあしす]野口英世アフリカ賞の記念碑、横浜に設置[2008年5月29日 読売新聞 東京朝刊 社会]

[新時代の大陸](1)世界が狙う夢の鉱脈 アフリカ、空前の活況(連載)[2008年5月22日 読売新聞 東京朝刊 外B]

アフリカ開発会議 福田首相、マラソン会談へ 3日間で50人、計17時間[2008年5月19日 読売新聞 東京朝刊 二面]

野口英世賞 寄付7億円足りない 政府目標は10億円[2008年3月29日 読売新聞 東京夕刊 夕二面]

野口英世アフリカ賞に英の博士ら/日本政府[2008年3月27日 読売新聞 東京朝刊 政治]

アフリカ農業支援、ゲイツ氏らと連携/政府[2008年2月10日 読売新聞 東京朝刊 二面]

横浜開催のアフリカ開発会議 過去最多90か国参加へ/政府見通し[2008年1月29日 読売新聞 東京朝刊 二面]

洞爺湖サミット 温室ガス削減、中期目標が焦点 河野雅治・審議官インタビュー[2008年1月18日 読売新聞 東京朝刊 政治]

英連邦首脳会議 影響力維持へ結束 英と旧植民地諸国に実益(解説)[2007年12月13日 読売新聞 東京朝刊 解説]

「野口英世賞」創設を正式発表 小泉首相とコナレAU委員長会見[2006年7月26日 読売新聞 東京朝刊 二面]

「野口英世賞」創設へ 小泉首相が提案 アフリカ医療の貢献者に[2006年5月4日 読売新聞 東京朝刊 二面]

野口英世に感銘、小泉首相「忍耐が大事」 ガーナで研究室視察[2006年5月3日 読売新聞 東京朝刊 政治]

小泉首相、歴訪へ出発 アフリカと北欧の3か国訪問[2006年4月30日 読売新聞 東京朝刊 政治]

[なるほど!経済]日本のアフリカ支援 方針巡り欧州と対立[2005年2月8日 読売新聞 東京朝刊 C経]

アフリカ支援、検証必要 過去9年で112億ドル 目を見張る効果なく[2003年10月2日 読売新聞 東京朝刊 二面]

「第3回アフリカ開発会議」開幕 投資促進会議、来年秋に開催 小泉首相の意向[2003年9月29日 読売新聞 東京夕刊 夕一面]

アフリカ開発会議閣僚会議 小泉首相が首脳級の日本開催を表明[2001年12月3日 読売新聞 東京夕刊 夕二面]

アフリカ開発会議開幕 2000人の技術研修生支援 小渕首相が表明[1998年10月19日 読売新聞 東京夕刊 夕一面]

アフリカ開発会議、あす東京で開幕 妊婦死亡率半減めざす 行動計画採択へ[1998年10月18日 読売新聞 東京朝刊 二面]

アフリカ開発会議の行動計画固まる 貧困削減など目標[1998年9月28日 読売新聞 東京朝刊 三面]

アフリカの青年3000人を招待 98―2000年度 外務省が方針[1998年1月12日 読売新聞 東京朝刊 二面]

第2回アフリカ開発会議の準備会合、11月東京開催を決める/外務省[1997年1月5日 読売新聞 東京朝刊 二面]

水源確保へ資金協力を表明 アフリカ開発会議が「東京宣言」採択し閉幕[1993年10月7日 読売新聞 東京朝刊 A経]

「アフリカ開発会議」開く 細川首相が演説、民主化を強く支持[1993年10月5日 読売新聞 東京夕刊 夕二面]

[きー・ぽいんと]アフリカ開発会議[1993年10月4日 読売新聞 東京朝刊 円4]

10月に「アフリカ開発会議」 「東京宣言」採択へ[1993年9月5日 読売新聞 東京朝刊 三面]

中東・中南米へ積極外交 アフリカ地域にも接近 発言力増大図る(解説)[1993年5月11日 読売新聞 東京朝刊 解説]

冷戦後探るアフリカ開発会議 3月、東京で準備会合/政府[1993年1月12日 読売新聞 東京朝刊 二面]

対アフリカ外交推進 民主化支援など重点3項目を決める/外務省[1992年9月16日 読売新聞 東京朝刊 二面]

アフリカ開発会議、93年秋に東京で開催へ/小和田外務事務次官[1992年9月8日 読売新聞 東京朝刊 三面]

対南ア制裁を解除 復興・開発を全面支援/閣議決定[1991年10月22日 読売新聞 東京夕刊 夕一面]

南ア制裁を一部解除 他のアフリカ諸国に配慮し「経済」は先送り/政府[1991年6月21日 読売新聞 東京朝刊 二面]

アフリカと中国「間違ったモデル、正しい大陸」 [2006年10月28日 英国エコノミスト誌]

南アフリカのビジネス「企業のグローバル化」 [2006年7月15日 英国エコノミスト誌]

アフリカ経済「ようやくかすかな光が見えたか」 [2006年6月24日 英国エコノミスト誌]

米国とアフリカ「次はアフリカの番」 [2003年7月5日 英国エコノミスト誌]

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