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日本の誤解「マルクス主義」

岸田 徹 【岸コラ】
2008年8月6日(水)

カール・マルクス (1818-1883)ロシアの小説家でノーベル賞を受賞したソルジェニーツィンが8月3日(現地)心不全のためモスクワの自宅で死去した。89歳だった。

ソルジェニーツィンは「収容所群島」などの著作でスターリン時代の旧ソ連の恐怖政治を告発したことで世界的に有名になった。第二次世界大戦の従軍中に戦地から友人にあてた手紙がスターリンに批判的だと検閲で押さえられ、懲役8年の刑に服した。政治犯の強制収容所体験を元に書かれた文芸作品が国内外から注目されたが、「反ソ的」だとソ連作家同盟から除名された(1969年)。これを世界が援護するように翌年ノーベル文学賞が贈られた。ブレジネフ体制だったソ連の市民権剥奪を恐れ、授賞式には参加しなかったソルジェニーツィンだったが、パリでソ連の収容所制度やテロ、秘密警察などの問題を取り上げた「収容所群島」を出版するとソ連共産党は彼の市民権を剥奪し、西ドイツ(当時)に追放した。

ソ連の崩壊で帰国し、その後は改革開放政策のロシア政府に利用される側面もあったが、ソ連共産党と闘った反体制作家ソルジェニーツィンの面影は世界から次第に忘れ去られることになった。読売新聞の社説は彼の生前の功績を「ロシア革命以来の共産主義を徹底的に批判したことだろう」(8月5日)と述べている。

この評価が適切かどうかは怪しい。厳密にいえば、ソルジェニーツィンは共産主義を批判したのではなく、スターリン主義を批判したからだ。

ロシアはレーニンが指導する十月革命で世界で最初の社会主義国家となった。革命後スターリンは民族問題人民委員部の部長としてレーニンを助け、国内戦の司令官もいくつか務めた。組織活動と行政活動で頭角を現し、党書記長に就任した(1922年)。しかし、レーニンは強大化していくスターリンの権力集中に疑念を抱き、書記長の座を退くよう要求するが、脳卒中の発作に襲われレーニンは言語機能を失ってしまう。間もなく二十世紀を代表する革命家レーニンはその生涯を終えた(1924年)。

スターリンはレーニンの後継と思われていた最大のライバル、トロツキーを追い落とし、反対派を一掃しソ連の独裁者となった(1929年)。同時に農業生産改善のため富農を次々に処刑し何百万の農民が死のシベリアに送られた。さらに強引な工業化を進め、不満を漏らす人々は次々に強制収容所に送られた。不満を募らせる国民は別の指導者を待望するが、期待を封じ込めるようにスターリンは党内の大粛清を開始した。これで、党や工場、軍で多くの指導者が姿を消し、一般家庭の中には秘密警察や強制収容所送りの恐怖政治が入り込んだ。スターリンの恐怖政治体制は実質的にフルシチョフとその後のブレジネフへと引き継がれた。ソルジェニーツィンが闘ったのはスターリンが築いた全体主義体制とそのイデオロギーだった。特権的な官僚とそれを防衛する秘密警察が国民の私生活まで統制を加えるソ連の全体主義はスターリン主義と呼ばれた。

スターリンは靴屋の子として生まれ、両親はロシア語を話せなかった。教会学校でロシア語を学び優等生だったことから特待生として神学校に進級した。そこで、司祭の勉強の傍ら禁書だったマルクスの著作を読みマルクス主義者になっていった。卒業前に神学校を追放され職業革命家となり、シベリアへの流刑と脱走を繰り返した。その後革命期にレーニンによって党幹部に登用され、レーニンの死後東ヨーロッパに共産主義支配を拡大するまでの権力者にのし上がる運命が待っていた。

スターリンがレーニンによって登用されたのも、レーニンが社会主義革命を起こせたのも、マルクス主義という共通の共産主義思想があったからだ。マルクス主義がなければソ連は生まれなかったと言える。日本では、ソ連崩壊とともに共産主義もマルクス主義も終えんを迎えたと解されているが、この解釈は正しくない。

マルクス主義は現実に今でも生きていて、昨年行われた中国共産党の第17回党大会では、持続可能な成長を目指す胡錦濤体制で「中国におけるマルクス主義の進化の最新の成果を規約に反映させなくてはならない」としている。マルクス主義は今でも進化しているのだ。

マルクスはドイツの思想家だ。音楽の世界でいばベートーベンのあとのワーグナーの時代の人だ。マルクスはユダヤ人の弁護士の子として生まれた(1818年)。ボン大学とベルリン大学で哲学と法学を学ぶと、進歩的な新聞に論説を寄稿しその後編集長になり当時の政治を鋭く批判した。政府と衝突しパリに退くと哲学、歴史、社会学の研究を続け、共産主義思想に到達した。当時ヨーロッパでは市民意識の盛り上がりから各地で革命運動が勃発していた(48年革命)。これらの革命運動は結果的には国家体制を変革できるものには至らなかったが、市民意識の向上には大きく貢献した。

マルクスが考えた共産主義思想は、そんな社会体制の変革の行方だった。イギリスの産業革命後、ヨーロッパ世界は封建制度から資本主義制度へ改革の時を迎え、マルクスはその変革期にいた。封建社会では貴族領主と農奴との闘いがあり、その前の古代社会では自由市民と奴隷との闘いがあった。産業革命後は資本家と労働者の闘いが待っていた。これらの闘いは階級闘争で、封建社会は貴族階級と農民階級の闘争、近代社会では資本家階級と労働者階級の闘争だ。

よくいうブルジョワジーとプロレタリアートの階級闘争とは資本家階級と労働者階級の闘争のことだ。これらの闘争はどうして起こるかというと、生産手段を個人が所有するからで、封建社会では農園を領主である貴族が所有し、所有していない農奴が畑を耕す。近代社会では生産工場を資本家が所有し、所有していない労働者がそこで働く。そこに階級対立が起きて、所有者がすべて搾取してしまうので問題が起きる。

問題が起こらないようにするには、生産手段を個人所有にせずに、共同所有とし、各人が能力に応じて働き、必要に応じてその報酬を受け取るようにすればよい。「階級社会」から「無階級社会」にしようというのがマルクスの考えだ。マルクスは資本主義が進めば技術革新も進み、そうなれば人類は労働から解放されるかもしれないと考えた。さらに、無階級社会のような平等社会を実現すれば国家や政治権力は必要なくなるはずで、革命によって私有財産制を廃止しようと主張した。しかし、そのような理想郷の実現には必ず反対する者(反革命勢力)も出てくるので、生産手段は一時的に国家が強制的に所有するのもやむをえない。完全に反対勢力がなくなったら、生産手段を各人の共同所有にしようというのがマルクスの共産主義だ。

したがって、共産主義は資本主義が完成した後、さらに人類の幸福を考えた場合実現されるべき社会体制ということになる。

ところが、世界史では、マルクスが思い描いたようには進んでくれなかった。資本主義がまだまだ未熟なロシアで共産主義を実現できないかとロシアの社会主義者たちはマルクスに相談したのだった。マルクスは研究を重ねた結果、ロシア社会にある人間の共同関係は未来社会の基礎となりうると回答し、ロシアは世界で初めての社会主義国家を目指す革命を成功させた。マルクスとしては、ロシアの社会主義国家はひとつの冒険に過ぎなかったはずだ。

マルクスの死後、裕福な実業家の子として生まれたエンゲルスがマルクスの残した膨大な「資本論」の草稿を編集した。「資本論」第2巻と第3巻を10年かけて刊行したのだった。エンゲルスはマルクスとイギリスのマンチェスターで初めて会っている(1842年)。エンゲルスはそこで実業家としての経験を積むが、産業革命後の資本家のもとで単に労働力だけを捧げる労働者の悲惨な状況を目の当たりにした。2人は言論活動で意気投合するが、エンゲルスは紡績事業に従事しながら20年間貧困に苦しむマルクス一家の生計を援助した。

マルクス主義は日本でも現在70歳代後半の方々が旧制高校時代盛んに議論した思想だ。日本社会党も盛んにマルクス主義の実現について論争を交わした。しかし、1986年の党大会で日本社会党はマルクス主義的な考えを否定し、「国民の党」として政権参加の意欲を表明した。

マルクス主義はスターリンの印象が強いせいか、過激な革命思想と思われがちだが、社会の富の再配分をどのようにしたらいいのかを論じる場合には欠かせない考え方だ。自分が資本家や経営者あるいは管理職になった場合、さらには政治を統治する立場になった場合、マルクス理論どおりの社会にするかどうかは別にして、社会体制を考える際には知っておくべき、あるいは論争を重ねるべき思想体系だ。

日本が今抱える格差社会は、マルクスが150年前に目にした資本家階級と労働者階級の闘争の発展形だ。より複雑に絡み合った階級闘争の解決にマルクス主義の論争は有益だ。日本社会党の衰退とともに日本にはマルクス主義を現実的に語り合う場がなくなってしまった。社会党にいた議員の多数は民主党に移ったが、民主党内ではマルクス主義は無縁で、2大政党制では資本主義社会を変えようとする議論はない。いつでも政権交代ができる2大政党制は現実的な体制だと言えるかもしれないが、そこが落とし穴だ。資本主義は人類が待ち望んだ理想的な経済体制の終着駅だとは言えないからだ。

マルクスの死後、エンゲルスは遺稿から「資本論」を続けて2巻まとめたが、他にもカウツキーが「余剰価値学説史」をまとめ、ベルンシュタインが「マルクス・エンゲルス往復書簡集」を編纂した。しかし、膨大な遺稿の整理はまだ終わった訳ではなく、マルクスとエンゲルスの著作を完全な形で刊行しようとする出版事業はいまだに続いている。

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このコラムに対する【サカスト】の論評:ソルジェニーツィンとマルキシズム


参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2008:「マルクス主義」「マルクス」「共産主義」「収容所群島」「エンゲルス」「スターリン」「ブレジネフ」

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