女子プロゴルフ、作られる藍ちゃん人気。

岸田 徹 【岸コラ】
2005年5月9日(月)

ゴールデンウィーク中に行なわれた女子ゴルフツアー第六戦の「サロンパスワールドレディスゴルフトーナメント」は、不動裕理が優勝し、二位が初日からトップを走る大山志保だった。二人は熾烈な優勝争いを演じたが、報道はこの結果だけで終わらず、藍ちゃん(宮里藍)はどうだったか、さくら(横峯さくら)はどうしたかと続く。

ゴルフのツアーはほとんどが4日間の連日試合の結果で順位が決まる。第3日目と第4日目の最終日は、成績の悪い順に組合せが行なわれる。最終日の最終組が最も成績がいいので、優勝者が出る可能性が高い。この試合も最終日の最終組は、3日間の成績が合計206打(10アンダー)でトップの不動裕理と大山志保、それに3位の表純子(209打、7アンダー)の組合せだった。

その最終組の前の組が3日間の合計で4位から6位の選手で占められる。それが、人気絶頂の宮里藍と横峯さくら、それに天沼知恵子の3人だった。この日のギャラリーは11,000人を超えた。4日間の合計で28,732人と発表され、去年の同大会より3万人近く多かった。だいたいゴルフの試合は1日に3千人のギャラリーが入れば多い方だ。1万人を超えたのは宮里、横峯の人気だ。

通常は、最終組が優勝争いをするので、ギャラリーは最終組にくっついて試合を観戦する。ところが、今回は最終組の前の組に人気が集中してギャラリーはこちらの方に多くくっついた。宮里、横峯の人気はともに19歳という若さだという点があげられている。

ただ若いと言うのだったら不動だって28歳、大山だって27歳だ。十分若い。ところが、不動・大山が放つ雰囲気と、宮里・横峯の雰囲気は明らかに違う。

宮里・横峯は、ライバル心をむき出しにした闘志があるかと思うと、互いに良い刺激とばかりに褒めあい友情を感じさせるところがすがすがしさを感じさせる。宮里は常にファンへのメッセージも忘れない。また、両人とも父親のコーチでトッププロに躍り出た点も見落とせない。一般ゴルファー層が父親コーチの年代に多いからだ。

不動・大山はライバル同士ではなく同じ師匠の門下生同士だった。日本女子プロゴルフ協会の副会長をしている清元登子(きよもと たかこ)がその師匠だ。不動は小学校の5年生から清元にゴルフを教わっている。プロになってからは清元の自宅に「住み込み」で練習に励み試合に出場していた。清元が手塩にかけて育てた一番弟子だ。不動裕理は清元の「長女」、大山志保は「次女」、最近活躍が目立つ古閑美保が「三女」と例えられている。

清元登子は関西の裕福な家庭に生まれ、名門の宝塚ゴルフ倶楽部で増元弘に育てられたアマチュア・ゴルファーだった。「女武蔵」と言われるほどの鋭さで、日本女子アマで優勝を重ねた。そのライバルが樋口久子だ。樋口は日本女子プロゴルフ協会の会長を現在務めているが、副会長の清元登子とは因縁がある。

TBS越谷ゴルフクラブ(現越谷ゴルフ倶楽部)で行なわれた日本最初の女子オープンゴルフでは、プロの樋口久子が優勝し、ベストアマチュアには清元登子がなった。当時はまだまだ女子プロの社会的地位は低く、清元はプロになるつもりはなかったようだが、あまりの強さに早くプロになってもらわないと困るというプ圧力がプロゴルフ界からあったようだ。

清元のプロ転向は遅く、35歳になってから。転向後3年でアメリカツアーのグレーター・ボルチモアで2位タイになる快挙であっと言わせたのだが、その1ヵ月後に樋口が全米女子プロ選手権で優勝し、清元の快挙はすっかり忘れられてしまった。

日本女子プロゴルフ協会の初代会長は中村寅吉(1967年)。樋口は中村の弟子だった。ところが、協会の会長職では清元の方が6歳年上という事もあるのか先輩のようで、樋口より先に会長を務めていた。この間、小林浩美、服部道子、福嶋晃子といった選手達が輩出され日本の女子プロも樋口や岡本綾子に続き世界で活躍する場面が展開された。ところが、バブル崩壊後、スポンサー企業が激減し、女子プロは存続の危機に面した。

そこで、女子プロ再建へ世界の顔が登場と樋口久子が清元登子に代わり会長となった。清元は副会長になり、樋口の再選は4回続き今日に至っている。その間清元は副会長だ。協会の会長職は、プロの会員が15名の理事を選挙で選び、選ばれた15名が互選で会長を選ぶ。会長が副会長を任命することにはなっているが、理事会運営上影響力の強い人を無視するわけにはいかない。自民党の派閥争いにも似た光景がある。つまり、女子プロ協会の中には清元派と樋口派がずっと争っているのだ。

そう考えると、宮里・横峯の人気は、二人のキャラクターばかりではなく、体制に作られた人気とも言える。というのも、宮里がプロに転向する際には、その少し前に新設された規定を利用しているが、その規定は明らかに樋口が作ったと思えるものだ。新規定は、アマチュアのツアー優勝者は4週間以内にプロ転向を宣言すればプロとして1年間試合に参加できるというもの。宮里をプロ界に誘い込み、女子プロを活性化しようとしたのだ。高校生だった藍ちゃんはアマチュア時代の2003年9月に「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子」で優勝しこの規定を利用した。プロのツアーでアマが勝つのは、清元登子が30年前に優勝して以降始めてのことだった。これに、樋口が最大の賛辞を贈った。

藍ちゃんの宣言後最初の試合は11月に行なわれた「伊藤園レディース」だった。その試合の前日にはプロアマ大会が行なわれ、藍ちゃんは樋口会長と一緒にプレーをしている。なんで、会長と一緒にプレーするかはスポンサーサービスだ。樋口会長と藍ちゃんの他に2人が一緒にプレーできる訳だが、スポンサーの伊藤園関係者か伊藤園の大口顧客と一緒に回れば、スポンサーは喜ぶ。これが、スポンサーになるひとつの理由でもある訳だ。これがために、昔は美人のセクシーさが女子ゴルファーに求められた。

現在はゴルフ競技の腕がプロや一般ゴルファーを問わず上がってきたため、必ずしもスカートがチラリとすることが接待にはならない。しかし、やはり一緒に回るのなら華がある方がいい。その点、不動裕理は技術力や精神力ではダントツのプロ選手だが、接待向きとは言えない。樋口会長としては、なんとしても華のあるプロ選手がほしかったのだろう。

宮里を誘い込んだその年、樋口久子は世界殿堂入りが決まった。その祝賀パーティに藍ちゃんも出席し「ゴルフはもちろん、人格的にも素晴らしい樋口さんを見習いたい」と祝辞を述べた。 樋口は藍ちゃん人気の立役者であることは間違いない。

これに反発するのが清元派だ。去年行なわれた樋口の世界殿堂入りを記念する「IDC大塚家具レディースゴルフ」では、横峯さくらがトップを走っていたところを、清元の「三女」といわれた古閑美保が巻き返し優勝した。2位は「長女」の不動。それに不動とタイの横峯、宮里は9位だった。樋口陣営に雪辱を与えた感じだ。優勝した古閑は割りとさっぱりとした性格だが、このときは涙が止まらなかった。

古閑美保は最近、清元の愛情を一手に受けているという。藍ちゃん人気で報道されることが少ないが、一番弟子だった不動裕理は去年の4月に師匠の家を出て独立した。練習も一人で行い、師匠の指導をあおいでいない。クラブもセイコーSヤードの契約を更新しなかった。さらに、「次女」の大山志保も師匠の門下から外れたという。この変化は、藍ちゃん人気に対抗しようと、マスクのいい古閑美保に清元陣営が力をシフトしたためか(?)

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参考資料:

LPGAツアーCSリコー杯ゴルフ 貫禄の逆転劇、5年連続女王 不動 [2004年11月29日 産経新聞東京朝刊]

宮里が祝辞 樋口会長世界殿堂入りパーティー [2003年12月03日 産経新聞東京朝刊]

樋口久子殿堂入り記念IDC大塚家具レディースゴルフ 古閑感涙、今季初V [2004年11月01日 産経新聞東京朝刊]

宮里藍がアマプロ戦に参加 伊藤園レディースできょうプロデビュー [2003年11月14日 産経新聞東京朝刊]

女子ゴルフ 宮里、「プロ」正式表明 「不安…でも楽しみ」 [2003年10月08日 産経新聞東京朝刊]

フジサンケイレディスクラシック 注目選手 賞金女王 不動にするわ [2000年08月29日 産経新聞東京朝刊]

女子プロゴルフ界再建へ 世界の顔 樋口プロが会長に [1996年12月11日 産経新聞東京朝刊]

参考サイト:

「日本女子オープン開催を推進した今道潤三氏(元東京放送社長)の先見の明」

2003年3月5日号週刊ゴルフダイジェスト「樋口久子現会長の続投で穏やかに見えた女子プロ協会の役員改選だが、実状は……」

宝塚のプロ達

2004年6月8日号週刊ゴルフダイジェスト「10歳の時以来師事し続けてきた清元から離れた不動に続き、大山も独り立ちへ」

2004年12月8日ZAKZAK「女子プロゴルフ界に“内紛”樋口会長3選一転ピンチ!?」

ゴルフクラシック INSIDEOUT 2001年01月号

TV愛知「解説委員室から」ヒロイン誕生

ゴルフダイジェストオンライン「同門対決、女王不動が今季初優勝!藍&さくらは…」

日本女子プロゴルフ協会

スポニチ「不動、大山、古閑ら門下生が大活躍!師匠・清元登子プロはどんな人?」

日本女子プロゴルフ協会「サロンパスワールドレディスゴルフトーナメント 」組合せ・結果


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