企業買収は良いことか悪いことか。

岸田 徹 【岸コラ】
2005年5月2日(月)

A:「この150万円の支払先はどちらですか」

B:「ええ、占い師です」

A:「占い師?じゃ、社長個人の支出じゃないですか」

B:「いえ、会社の今後を占ってもらったので、会社の経費で落としたのです」

A:「じゃ、何のために社長がいるんですか。そんなんだったら占い師に社長になっていただいたらどうですか」

このやり取りは、税務署とかつて私が勤めていた会社の経理部長とのものだ。笑い話のようだが実話だ。会社の会計は原則自由だ。企業がどのような活動をして、どのような収益を上がるかは本来誰にも左右されてはならないものだ。会社には決算の自由がある。

ところが、この原則を主張すると税の公平と正面衝突する。企業は利益を追求する。その利益に対して税金をかけるわけだから、企業が利益を追求することは社会的に非常に意義がある。そのため、会社が利益を上げやすいように会社を守る株式会社法などの法律が整備されている。

利益は売上げから経費を引いたものだ。会社ではこれを「収益」から「費用」を引いて「税引前当期純利益」を計上すると言う。

ところが、税務署はそうは言わない。「益金」から「損金」を引いて「課税所得」を計算すると言う。これは、同じような内容に見えるが根本的に違う。税金は利益に対して何パーセントかかかる仕組みだ。だから、利益が大きいほど税収が上がる。税務署は好き勝手に会社が経費を計上されると利益が出なくなってしまうので、税の公平の原則から経費について厳しく注文をつけるのだ。それが税務署の経費算入の基準になる。いわば、税務署の目で見た売上げ(収益)が「益金」で、経費(費用)が「損金」ということだ。そこに企業の論理が入り込む余地はない。

よく、脱税事件で当事者が「税務当局と見解の相違があった」というコメントを出すのはこのことを言っている場合がほとんどだ。

上記の実話例では、占い師へ払った費用は企業会計の決算の自由の原則からすれば、会社の勝手でしょということになるが、税の公平の原則からすれば認められない。例え、社長の判断が占い師によるもので、その判断で数百億の利益が上がったとしても、一般には、占いの結果が会社の経営を左右する判断材料にはならないからだ。

どこの国でも税務署員が会社に入り、税務申告がきちんと行なわれるを調べるのは一般に行なわれていることだ。しかし、日本ほど国税査察官が幅を利かせて企業に乗り込んでくる国はないと思う。税に対する認識の違いが背景にあるが、直接的な理由は、企業会計が外部の人間にさらけ出されることが日本では少ないからだ。

企業会計が外部と無関係でいられない時期は決算と株主総会だ。決算の承認には定時株主総会の招集が必要だ。欧米諸国ではこれ以前に会計監査法人が厳しく企業の会計に注文をつける。そのため、厳しい会計監査法人の監査を通った会社の会計は多くの株主から信頼される。多くの株主に支持された企業会計に税務署が待ったをかけるのは相当綿密な事前調査が必要だ。そのため、査察には限界が生じてくる。

ところが、日本の企業会計にはそのような歴史が浅く、大会社の外部会計監査人の監査が義務付けられたのは1974年の商法改正からだ。どんな会計監査法人が信頼できるのか、一般的にはまだ認識されていない。

それより、泣く子も黙るマルサ(東京国税局査察部)がやってきて、悪い企業は徹底的に調べ上げて欲しいという国民の「期待」の方が日本では大きい。その期待の現われか、国税局には内部告発の情報が多く寄せられるという。「悪さはお上が裁く」という意識がなかなか抜けないのだ。

ライブドアによるニッポン放送株買占め70日間騒動以来、企業買収に対する防衛策ががぜん注目を浴び、その対策が急務になっているという。株主を守る良い買収には賛成し、悪い買収には防衛するというが、いったい誰が良い悪いを判断するというのか。良いか悪いかは立場が変われば全く違う。

ホリエモン騒動では、ライブドアにとってみれば、ニッポン放送買収は良い買収だし、ニッポン放送の経営者にとってはとんでもない買収劇で、今回は社員も相当数が悪い買収だと判断したが、株主にとっては判断がまちまちだ。

買収した方は莫大な金をかけて買収するわけだから、大方の場合、企業を乗っ取って自分の好き勝手に会社を召使のように使おうとすることはない。そうではなくて、もっと利益を出してもらうように無駄を省き、真剣に業務に取り組むように会社に要望するのが当然だ。

「敵対的買収」というのは買収の方法が敵対するだけで、買収してしまったら株主は親身になって会社を説得しないと自分が思ったようには動いてくれない。会社の説得に、旧経営陣が必要だと思ったら首を切ることはないし、従業員だって同じこと。やり方が合わなければ、旧経営陣は堂々と会社を出て、ライバル会社に移ればいいだけのことだ。ライバル会社にとってみれば、競争相手の経験と知識がそのままやってくるのだからこんなに有難いことはないはず。

ところが、日本では、前の会社でダメの烙印を押されると次がなかったり、ライバル会社に移ろうものなら信義がないとか、忠誠心がないとか、裏切り者だとかさんざんの評価で社会の陰で暮らすことになる。人材の流動化がなされていない悲劇だ。

組織のために働く日本人は実に悲劇だ。組織のため組織のためとみんなが合言葉にして、いったい誰が幸せになるのか。組織のために全員が働き、そのために全員が幸せになれるんだったら組織のために働けばいい。しかし、組織のために働いて幸せになるのは一握りの人だけ。その一握りの人もいつかはボロが出て組織を追われることになる。

人間は、自分の命だって最後は自分のものにならない。会社組織に骨を埋めるつもりでいても、しょせん自分のものにはならないのだ。オーナー会社だって同じことだと西武が先日教えてくれたばかりだ。そんなもの防衛したって仕方がないだろうに。価値があるから誰かが欲しがる訳で、欲しいうちに上げてしまった方がいいんじゃないの。

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参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2005:「会計監査」「税効果会計」

参考サイト:

All about 「株主総会」

フジテレビ「マルサ!!」

監査法人トーマツ


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