臭いと嫌いは意味が違う。「臭い」は鼻に不快なにおいを感ずることで、「嫌い」はいやがることだ。意味が違うのに、時々同意語のように使われる。思春期の女の子が「お父さん、臭い」と言うのは当たり前のように使うし、テレビ番組の街頭調査でも「中高年の臭いが気になったことがありますか」という質問が当然のように行われている。ある調査では、若い女性の50人中42人がYesで、どんな臭いかというと「異様な臭い」「べとつく臭い」「そばに寄りたくない臭い」など嫌悪感がアリアリだ。

これらの臭いは嫌いという意味だ。においは人間の五感の一つ。視、聴、嗅、味、触の五感は、それぞれ臭いと同じように悪い意味を表す時に使われることがある。例えば、「あの人は暗い」、「うちの親はうるさい」、「あの先生は辛い」、「あの人は冷たい」。ところが臭いと決定的に違うことがある。暗いから嫌いだったり、うるさいから嫌い、辛いから嫌い、冷たいから嫌いだったりはするが、嫌いだから暗いという逆の表現はないのだ。ところが、臭いは、「臭いから嫌い」でもあるし、「嫌いだから臭い」でもある。上から読んでも下から読んでも両方ありなのだ。

ファブリーズは日本で発売されてから4年だが、全国で売られている。主婦だけでなく若い男性もスーパーの棚でファブリーズを探す。排便脱臭剤はもっと前から人気で、若い女性にはモテモテだったらしい。これを老人病院に導入するかどうかでもめていた。というのも、老人病院は病気の治療より家族でできない老人介護をこなすという役目があり、その介護の最大の仕事と苦労は排泄物の処理なのだ。もし大便から臭さがなくなったら、処理の苦労が大きく軽減される。それで、病院では患者に排便消臭剤を採ってもらおうと議論になった。

ところが、その結論がなかなかでない。苦労が大幅に減るということは、介護をやる人も増えるということで、病院の経営上も助かるのだが、大便の臭いを奪うことは患者をものとして扱うことになるとの思いがどうしても払拭できない。寝たきり老人の大便から臭さを取ったら生の証がなくなるとの主張もあった。

どうして、こんなに臭いが邪魔者扱いされるのか。見たり聞いたりは遠くから行わないとよく分からない。そこで主体と客体が別々になる「分ける」という行為が好まれる近代思想に合致する。ところが臭いは近くに来ないと分からない。そこで、思想的に個人主義と自然主義が密着してしまうために嫌われるとの説がある。(産経新聞「におい」を嫌う現代社会1995年11月17日付、文化部稲垣真澄氏)

確かに、そんな現代社会の流れがあるのかもしれない。でも、有島武郎の「或る女」では、主人公の葉子が不倫相手となった倉地への思いをどうすることもできなくなった時、倉地の葉巻とウイスキーが混じったような体臭を何度も思い出している。

今日、嫌われるように使われている「臭い」当事者は、父親、中年男性、老人だ。55年体制で日本が突っ走っていたころは、社会の中心人物だった。今はリストラや高齢化で社会の厄介者扱いだ。

「或る女」の倉地は一流郵船会社のエリート管理職だった。今だったら葉子も倉地のことを酒とタバコが混じった体臭が臭いとファブリーズをシュッシュしたかもしれない。


参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2003

参考サイト:

iF

「キミの名は」 ファブリーズ