垢抜けた人だねぇ、と褒めるほど、日本人は垢がきらいだ。「垢に食われても死にはせず」とどんなに垢がたまったって死ぬことはないと言われても、毎日風呂に入らないと気がすまない人が多い。こんなに清潔好きな国民はいない。
毎日風呂に入る習慣は室町時代から続いている訳ではない。つい最近始まったものだ。
ナイロンタオルをボディソープのポンプの下に持ってきてシュパシュパやって、几帳面に体の隅々を渾身の力を込めて洗う。そのうち肌は赤く染まり、その赤みが全身に及ぶと垢をすべて落とした満足感も全身に及ぶ。
垢抜けた身体を洗い流した後は、髪に潤いを与えながら汚れを取るという魔法のシャンプーを頭皮にすり込む様に指先を踊らせ、何度も髪の毛にシャンプーを馴染ませキューティクルがボロボロになるまで洗う。一度では足りず、シャワーの下に頭を持っていったかと思うと、すぐにシャンプーをもう一度塗りこみせっせと洗う。
ダメージヘアーを蘇らせるというトリートメントを手のひらいっぱいに盛り上げ頭皮にもいたわるようにすり込んで、しばらく鏡で自分の顔を見る。充実感に浸った後に、シャワーでていねいに洗い流す。
風呂場の床をすっかりトリートメントして、びっしょ濡れになったままの身体で去っていく。お陰で風呂場の床は保湿成分でいつでもツルツルだ。
りんごの皮より薄い人の表皮をナイロンタオルでゴシゴシやれば、皮膚の表面は完全に破壊される。そこにボディーシャンプーが入り込んでくると大変。化学合成された毒素がどんどん肌に浸透していく。
油分を含んだ汚れは水をはじくので、水だけでは汚れが取れない。そこで油に馴染みやすい物質と水に馴染みやすい物質を同時にもった成分をつくる。それを水に入れると水の表面張力ができなくなって、油と水が混ざって汚れが取れる。
この水と油と両方に馴染むのが界面活性剤だ。界面とは表面張力の表面部分のこと。これを2千年以上も人間のためにやってくれていたのが、石鹸だ。脂肪とアルカリの苛性ソーダなどでつくる自然な物質だ。だから石鹸はアルカリ性。
肌は雑菌を殺すために表皮を常に弱酸性に保とうとしている。アルカリ性の石鹸は肌の酸性ですぐに中和して、界面活性作用を肌に残すことはない。だから、石鹸を使った後は再び水の表面張力が働いて、皮膚が水をはじく。
ところが、肌が酸性だから石鹸も酸性がいいとばかりに、赤ちゃんの肌にも使える弱酸性という合成界面活性剤のボディソープを使うと中和されない。肌の酸性と合成洗剤の酸性ではいつまでも中和されないのだ。そこで界面活性作用が働いて、肌はいろいろなものを通してしまう。
そこに、ボディソープに入っている保存料のベラベンやエデト酸塩などがどんどん入る。これらは毒性がある。口から入る毒素は肝臓で中和するが、皮膚から入る毒素はすぐに肝臓では中和しないといわれ、どんどんたまるのが危険だとの指摘が根強い。
同じ界面活性剤でも石鹸とは違う化学合成されたボディソープを人間が使い始めたのはつい最近だから、どのような影響があるのかは経験的には分からない部分が多い。
石鹸がアルカリ性だから、リンスは酸性で髪を中和させるというのがもともとのリンスの目的だった。だからリンス材はお酢でもいい。rinseの意味は、すすぐ。酸性の液体ですすいであげるとアルカリ性の石鹸がすぐに中和されて髪がもとの弱酸性にすぐに戻る効果を狙った。
それを、保湿成分をいっぱい入れるからおかしくなった。保湿成分で水分をたっぷり含んだ髪をドライヤーで乾かす。保湿成分がなければすぐに乾く髪も、保湿成分が働いて水分を逃がさないようにする。ま、そのために髪にすり込んだのだから当然だけど。それを強引にドライヤーで乾かすのだから、髪が痛まない訳がない。だから、また保湿成分を多く含ませてリンスするという悪循環で、潤いのある髪に戻ることは一生ない。
清潔好きは頭ばかりじゃない。お尻もだ。1980年にTOTOが発売した温水洗浄便座「ウォシュレット」は日本の大ヒット商品だ。
いくら用事を済ませた後にウォシュレットをやってもお尻がムズムズヒリヒリする人が出てきた。まだ、残留物があるのかともっとていねいにウォシュレットをする。するともっとヒリヒリしてくる。
もともと人間のお尻は用を足した後、少々の便が肌に残ることを想定してつくられている。便にある有害な菌を退治する菌が肛門の周りには常にあるようになっているのだ。それをウォシュレットの温水洗浄で取除いてしまう。だから、ウォシュレットでは取れない便の菌が肛門の周りを刺激してヒリヒリするのだ。
人間の体内には約700種類の細菌と少々のウィルスが常駐している。これらの菌はバランスよく人間の営みに参加している。殺菌とはこれらの菌を殺すことだ。なくなったら困るのは金ばかりじゃない。菌も。
参考資料:
Microsoftエンカルタ総合大百科2003
参考サイト: