シャンソンは、12〜3世紀ごろからフランスで流行った歌。ロックはロックンロールがエレキ楽器の影響で発達した音楽。カンツォーネはイタリアのポピュラー音楽。ジャズは19世紀末ごろ流行り始めたアメリカの黒人音楽が発展した音楽。スイングはさらにそれが発達した音楽。ボサノバはブラジルのサンバにモダンジャズが合わさって生まれた音楽。

じゃ、演歌は?

「一週間のご無沙汰でした。司会の玉置宏です」と言って始まった「ロッテ歌のアルバム」。今でも名調子が聞こえてくるようだ。「演歌は日本の心、日本の心は演歌の心。さあ、この方に熱唱していただきましょう。都はるみが歌います。アンコ椿は恋の花」なんて、やっていた感じだ。

演歌が日本の心だと言うのなら、恐らく随分以前から日本人に馴染んでいたはずだ。いったいいつからか。平安時代か、安土桃山か、はたまた意外にも明治維新後鎖国が解け、韓国の曲に影響されたものなのか。それとも戦後日本の復興に日本の底力を歌い始めたのか。謎は深まる。

先月、謎解きに一役買いそうなものが発売になった。昭和33年から昭和52年まで続いた歌番組の「ロッテ歌のアルバム」を再現したような、玉置宏ナレーション入りのアルバムだ。ズバリ題名も「ロッテ歌のアルバム」。このアルバムに収録された曲は、次の20曲だ。

1.恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)
2.小指の想い出(伊東ゆかり)
3.霧の摩周湖(布施明)
4.夜明けのうた(岸洋子)
5.学生時代(ペギー葉山)
6.川は流れる(仲宗根美樹)
7.さよならはダンスの後に(倍賞千恵子)
8.こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)
9.虹色の湖(中村晃子)
10.恋の季節(ピンキーとキラーズ)
11.ミヨチャン(平尾昌晃)
12.あの娘たずねて(佐々木新一)
13.女心の唄(バーブ佐竹)
14.銀色の道(ダーク・ダックス)
15.みんな夢の中(高田恭子)
16.愛するってこわい(じゅん&ネネ)
17.愛のきずな(安倍律子)
18.白いブランコ(ビリー・バンバン)
19.折鶴(千葉紘子)
20.絹の靴下(夏木マリ)

なんと、演歌は「折鶴」だけだ。これでいったい演歌は日本の心と言えるのか。いったい、今のような演歌はいつごろ歌いだされたのだろうか。

日清日露戦争時の時の流行歌は軍歌だった。1920年代は、「七つの子」などの童謡と「八木節」や「チャッキリ節」などの民謡が流行った。

大正デモクラシーの時は、「カチューシャの唄」などの西洋的なメロディが流行り、昭和に入るとNHKが開局したり、コロムビアとビクターがレコードを作りだしたが、その時流行ったのは、ジャズを日本語にふきかえた「私の青空」やマンボ調の「君恋し」。

1930年代にレコード産業の黄金時代が現れるが、人気は古賀政男の日本情緒的な曲か服部良一の洋楽的な曲だった。

第二次大戦に突入すると戦場となった中国や東南アジアへの思いを歌った軍歌が流行らされた。浪曲も人気を博した。

戦後はGHQがクラシックやジャズを盛んにかけ、「煙が目にしみる」などアメリカのポピュラーが流行った。日本の歌は女性がリードする。最初にヒットしたのは並木路子の「リンゴの唄」。菊池章子の「星の流れに」、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」と続く。「青い山脈」もこのころだ。

日本の代表歌手美空ひばりのデビュー曲は1948年焼け跡に生きる子供の歌「東京キッド」だった。

それから、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」をはじめとする外国への憧れを歌った曲が続き、「ハバロフスク小唄」や「上海帰りのリル」など抑留兵士や引揚者の心に響く歌が流行った。

演歌はまだ出てこない。

近江敏郎が歌った古賀政男の「湯の町エレジー」が爆発的に売れた。温泉町の流しを感傷的に歌った。

サンフランシスコ講和条約が結ばれた1952年、アメリカ軍が撤退を始めた。するとそれまで米軍キャンプで歌っていたジャズ・ミュージシャンが次々に仕事を求めて巷におりて来た。その人たちがジャズ・ブームを作り出し、江利チエミ、ペギー葉山、中村八大、渡辺晋、フランク永井などの歌手を育てた。

その後は、ジャズのみならず、タンゴ、シャンソン、マンボ、チャチャチャ、カントリー、ハワイアンなど洋楽が次々に流行した。その傍ら、浪曲が流行り、「ゲイシャ・ワルツ」などのお座敷ソングも流行ったが、演歌は聞かれない。

さらに、春日八郎の「別れの一本杉」、島倉千代子の「東京だよおっ母さん」、フランク永井の「有楽町で会いましょう」、松尾和子との「東京ナイトクラブ」が流行る。

1950年代は人手不足で、集団就職など地方から都市へ大規模な人口移動があった。このあたりから、気持ちが故郷にある人と、都会暮らしをエンジョイする人に分かれた。

現れたのは坂本九だった。「上を向いて歩こう」が大ヒット。続いて、橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」、船木一夫の「高校一年生」。集団就職の影響が見える。

東京オリンピックが終わり、1965年にベンチャーズが来日、66年にビートルズが来日。日本の音楽を確実に変えた。グループサウンズが流行る一方、「バラが咲いた」などのフォーク系も流行った。「帰って来たヨッパライ」も流行った。

加山雄三の「君といつまでも」、黛ジュンの「恋のハレルヤ」もヒット。アングラもあった。ダーク・ダックス、デューク・エイセス、マヒナ・スターズなどもいた。

この時、陰りが見えた浪曲界から転籍した後の有名人が二人いる。村田英雄と三波春夫だ。

村田英雄は「人生劇場」「柔道一代」「姿三四郎」「皆の衆」「花と竜」など男の心意気をテーマとした歌を次々にヒットさせて、1961年の「王将」につないだ。

三波春夫は東京オリンピックを契機に、「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」などで国民的人気となった。

同時期にデビューしたのが、都はるみだ。「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」「好きになった人」などパンチの効いた歌声でヒットを飛ばした。パンチの効いた歌は水前寺清子も一緒。

さらに、集団就職で鹿児島から大阪に出てきた森進一が職を転々としながらも歌手を目指し、1966年「女のためいき」でデビュー。同時デビューの青江三奈とハスキー歌声で人気をさらった。

大御所美空ひばりが「柔」と「悲しい酒」をヒットさせたのもこの時だ。

これらの歌を「演歌」といつの間にか呼んでいた。

演歌には成功して幸せだという歌はない。成就しない恋、耐えて一途に努力する人生。これらは、戦後の高度成長時代を前に、団塊の世代の人たちを中心に教えられ、実行を強いられた事そのものだ。

これこそが「日本の心」と輪をかけて納得させられた。演歌の歴史は、とても日本人の心を代表するようなものではなく、社会組織のために犠牲を強いられて人たちの哀愁歌となったものだと言ったら演歌ファンに怒られるだろうか。


参考資料:

Microsoftエンカルタ総合大百科2003 (特に明治維新以降の日本の流行歌については、本記述の流れをそのまま引用した)

「歌の力」は国境を越えて キム・ヨンジャ AERA2003年6月16日号

参考サイト:

40周年はるみ3年ぶり武道館

ENKA

演歌一番星

村田英雄